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馬虹師父に指導を仰ぐ筆者
    

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結局のところ
裏山です。

今回の内容が拳論に分類されるかは微妙ですが、
まあ、入れておきます。
でも、少しはまじめな話なんで、
変な装飾は入れません。

ところで、結局のところ太極拳て何なのでしょう?

もちろん根元的な解説は、まだまだ浅学にして経験の少ない僕には、
少々荷が重いのですが…。
今回のことはもう少し簡単な話です。

僕の専門はもちろん「陳式」太極拳ですが、
あくまで対外的な言い方です。
自分の思いでは、僕がやってるのはただの「太極拳」です。
もちろん、いろんな派があり、スタイルが違うのは承知した上で、そういってるのです。

太極拳が「太極拳」であるには、やはり「太極の理」が
そこにないといけないと思います。

「太極」とは言うまでもなく、「陰」と「陽」です。
多くの健康体操として太極拳をやる人が勘違いしているのが、
太極拳(他の武術もですが)は直列運動だという点です。
つまり、

「右手がこうなってから、左手がこうなって、足がこう出て・・・」

という感じです。
もちろん、頭では違うと分かっているとは思います。
でも現実にはできていない、そういう人が多いはずです。

実際のところ、太極拳は並列運動です。
全部が一斉に動くし、一斉に止まります。
拳論に言う、

一動無有不動(一つ動けば、動かないところはない)

です。

それを実現しないといけない理由は、太極拳の主要な戦術である

引進落空(いんしんらっくう)

を完成させるためです。

また、「引進落空」は「陰陽」がはっきりしていないと完成できません。
こうしてみると、太極拳の技術は、その体系自体が循環性を持っていると言えます。

さて、「陰陽」を分けるとは、具体的にはどういう事でしょう?

例えば、両手で円(厳密に波及ですが)を描く動作を考えてみましょう。
(よく考えたら、そうじゃない動作なんて太極拳にはほとんどなかった・・・)

右手を右斜め上に回し上げながら、左手は左下に回し降ろすとしましょう。
(二十四式をしている方は、起式→野馬分ソウを思い出してください)
この時、両手は同様に張り出さなければならず、どちらに偏ってはいけません。
じゃあ、「陰」も「陽」もないじゃないか!?
しかし、「陰陽」は「対立する二つの概念」という意味ですから、「右」と「左」も立派な「陰陽」です。
(細かい話をすると、もう少し違うのですが長くなるのでこうしておきます)

更に、両手は太極図を描いてないといけません。
右手はやや左に弛めてから上昇を始め、左手はやや右に弛めてから下降を始めます。
なぜか??
それが、

欲右先左、欲左先右(右を欲すればまず左、左を欲すればまず右)

です。

何かの動作を行う時にその前段階として必ず「弛み」が入ります。
誤解のないように言っておきますが、
「弛み」とは「たるむこと」ではありません!
ゆるんでいながら、必ず「ポン(手偏に朋の字を書く)」が無いといけません。

この「弛み」の目的は、

「相手の力を引き出す」

ということです。

「ポン」は、相手に向かって積極的に行われる時、
それは攻撃になります。(あたりまえですが)
で、人は押されれば、本能的にそれにあらがおうとします。
その方向は、押してくる対象の方向になります。
簡単に言うと、「押し返そう」とするのです。
その力を引き出しておいて、引き込む。
これも太極拳の戦術の一つです。

こういった戦術を駆使しながら、効率よく相手を倒すのが
太極拳本来の、武術としての目的です。

しかし、現代において、人と争う機会はあっても、
私闘であれば、それが正当化されることはまずないでしょう。

けんか両成敗

というやつです。

では、現代における太極拳の存在意義は何でしょう?

目的は人それぞれで良いと思います。

僕は強くなるために始めましたし、
健康のために始めた生徒もいます。
哲学的なものを求めて始める人もいます。

しかし、僕が現在思っているのは、
もっと自分の体を理解し、死ぬまでこの身で生きていく、
ということです。

年を取ればだんだん体が弱くなっていく、
この当たり前のことを、普段は忘れているように感じます。

酷使すれば、当然、体は知らず知らずのうちにすり減っていきます。

体は消耗品

なのです。
しかも、車や家電品のように修理ができません。
取り替える部品がないのですから。

いかに効率よく敵を破壊(過激な表現ですが)するか、
ということは裏返して言えば、
どうすれば壊れないかも理解できると言うことではないでしょうか?
それは自分にも適用できます。

多少とりとめが無くなりましたが、
結論を言うと、

太極拳は「太極の理」を体現する身体技術

その技術は、自分の体をいつまでも自分のものとして扱うためのもの

これが、現代におけるごく普遍的な太極拳の効用ではないでしょうか?
       
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フォームというものについて
今回は少し、ちゃんと武術のことを書いてみます。
テーマは、「フォーム」というものについてです。
これは、姿勢(専門的に言うと架式)だけに限った話ではなく、
流派の差についても当てはまるものです。

当研究室では、陳式太極拳を学びます。
僕個人の意見としては、特に陳式だとか何式だとかに
こだわる必要はないと思ってますが、
まあ、自分が何をやっている、とか、
そういう看板みたいなものとして、
いちおうの名称はあった方が便利だとは思ってます。

さて、現在、日本では多くの太極拳が知られるようになってきました。
ざっと挙げても、

 陳式太極拳
 楊式太極拳
 孫式太極拳
 呉式太極拳
 武式太極拳
 和式太極拳
 太極五星捶

などなど…

これだけあると(本当はもっとありますが)、
やはり自分のやってるのとは違う、だとか、
どっちが正しいんだ?、とかいった
不毛な議論も生じかねません。
これらの様式の差、つまりフォームの違いというは、
けっきょくは創始者の経験や思想、
着眼点の比重の差でしかないんだと思います。

太極拳はニュートラルな身体運用を構築する技術

というのが自論ですし、実際そうであることを実感しています。
それぞれの創始者も、誰が一番、というのはなく、
みんな偉大であったと思います。
ただ、やはり人間です。
趣味の差や癖の違いがあるであろう事は否めないでしょう。

たとえば、孫式太極拳を創始した孫禄堂は、
その前に八卦掌、形意拳を学んでいます。
その太極拳は、明らかに形意拳の影響を受けて
変化したのであろう「閃通背」や、
他の太極拳には見られない「こん歩」などが含まれ、
また開手で行う独特の「単鞭」など、かなり異色です。
(武式にも似たような動作がありますが、
「単鞭」かどうかは定かではありません)

これらはいったい何なんでしょう?
多くの実戦譚を残す名人・達人たちが、
ただいたずらに奇をてらって型や動作を変更するとは、
とても考えられません。
だとすると、これらの違いは何の意味を持つのか?

僕は、これは、戦術レベルでの太極拳の変化だ
ととらえています。
戦いには、「戦略」と「戦術」があります。
辞書的な意味の違いはおのおので調べてもらうとして、
僕のとらえ方としては、

「戦略=方向性」
「戦術=プラン・ツール」


となります。
では、太極拳拳における「戦略」と「戦術」は、というと
「効率よく敵を倒す(戦闘不能にする)」ということと、
「四正・四隅、引進落空、捨己従人…」といったものに
なると思います。

太極拳というものの方向性は一つです。
それは、武術というものが本来持っている
「相手を確実に倒し、戦闘不能にする」という、
当たり前の目的です。

これは、どの太極拳も変わりようがないです。
ただ、そのためにどういった手続きを踏むか、
どんな手段を講じるか、には、差が出てきて当然です。
それがフォームの差です。
その差はしかし、、「盲人の語る象」でしかないのです。

さて、最初に太極拳を始めた時(他拳種の時もでしたが)、
その動きの複雑さに頭がこんがりがりそうになることが
しばしばありました。
もちろん、日常生活で行うような動作ではないので、
いきなりできるということなどあるはずもないのですが。
右手がこうで、左手がこう、ついでに右足はこうなら、左足はこう…











できるか!!










と何度心で叫んだことか。
挙げ句の果てには、右と左の区別さえ危うくなる始末です。
しかし、これこそがフォームなのです。

 「陳式は難しい」
 「私には太極拳は向いてないんでしょうか?」
 「こんなに難しいとは思いませんでした」

こんなセリフを時々(よく?)聞きます。
はっきり言います。

なめてもらっては困る!!

陳式が難しい?
他のだって難しいです。
楊式なら簡単なのでしょうか?
孫式は?
呉式は?
 
できた気になるのと、できているのでは、
下水と蒸留水ほどの差があります。

向き・不向きを論じられるほど練習しましたか?

あなたはこれまで簡単にできることしか
してこなかったのですか?

いいたいことはたくさんあります。
それを乗り越えるためのフォームであり、練習なのです。
もちろん形を覚えることが、太極拳の最終目標ではありません。
しかし、というかだからこそ、
形を覚えて初めて入り口に立てるのです。
関節が変な方に曲がっていく気がする、という場合は間違いです。
先生に直してもらってください。
(比較的負荷の少ない太極拳を学んでいる方は、
この手の痛みは感じにくいので、より一層の注意力でもって、
套路を練ってください。)
そうでない場合、体の感じる不自然さは、
実は正しく行っている証拠です。

最後に、フォームについて、
僕の大好きな明石散人サンの本から引用してみたいと思います。


(前段略)
そうだ。人の才能に最も大切なのは、様式(フォーム)だ。
これは学問、スポーツ、芸術、作法、
何の世界にでも必須の条件として存在する。
ゴルフのクラブは誰にでも振れるが、
自己流、居心地の良いという意味だが、
これでは絶対に上手にならない。

コーチについてみると、最初、あまりの無理な姿勢に仰天する。
でもその無理な姿勢が正しいフォームなんだ。
スコアは飛躍的に上昇する。
(中略)
フォームというのは、居心地が悪いことを反復継続すると
いうことなんだ。
フォームを習得して初めてその人の才能が開花する。…」


(明石散人 著 
『アカシックファイル巻十七「やればできる」教育の罪』より引用)
       
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